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[FGO]皇女様アナスタシアとは何者なのか。
公開:2020.05.16 更新:2020.05.16

こんばんは、国税庁に自動車税という名の課金を施してきたらいどらです。

特に書くべきものが見つからなかったので(人はそれをネタバレという)、星五交換で邂逅を果たした皇女様の詳細なプロフィールについて、あらゆるところから調べてきたいと思います。

では。

出生・周囲の環境

「アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ」。出身地・ロシア。

ロシア皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后の間に第4皇女(末娘)として、1901年6月18日に誕生。

この時代、ロシアは産業革命のさなかであり、労働環境が問題視されるようになり、1900年~1903年には恐慌も発生している。

日露戦争・第一革命・第一次世界大戦・十月革命を経て混乱状態にある時代にボリシェヴィキ(赤衛隊)によってエカテリンブルクにて幽閉時にイパチェフ館でニコライ2世一家共々に殺害された。

この事件は一般に「ロマノフ家の銃殺」と呼ばれている。

名前の由来

アナスタシアはロシア語で「鎖の破壊者」「刑務所を開く人」「復活」などの意味を持つ。

政治革命のさなかで、落ちぶれた宮廷の中で希望を願われて生まれた事が窺える。

性格とエピソード

姉たちが眉目秀麗に育ち、社会的にもアイドルのような存在であったのと対照的に、アナスタシアは病弱で、世間の注目もあまり浴びなかった。

しかし、FGO内でも語られるようにおとなしそうな外見とは対照的に、かなりのおてんば娘であったと周囲からは語られている。

いたずらっ子でやんちゃ・周りはかなり手を焼いたようだが、反面、子供らしい無邪気さもあったのだろう。

4姉妹の養育係「マーガレッタ・イーガー」は「年少のアナスタシアは今までに見てきた子供達の中で最も愛敬があった」と述べたと記録されている。

趣味は両親譲りの写真撮影で、いつでもカメラを手離さなかったようだ。

鏡に映った自分を撮影した「自撮りを初めて行ったティーンエイジャー」というエピソードも有名だ。

なお、日本でもアナスタシアが実際に撮った写真を集めた写真集が1996年に発売されている。「ロマノフ朝最後の皇女 アナスタシアのアルバム―その生活の記録 (日本語) 大型本 – 1996/10/1

発売から24年は経っているのでかなりの高騰ぶり↓

生存説

銃殺現場では兵士の緊張を和らげるためウイスキーを隊で飲んでいたという話もあり、隊長ですら屍の数を精緻には数えていなかったと言われる。

また、一家に同情的な兵士もいたとされる為、この銃殺事件の後は長きにわたって生存者を名乗る人物が多数現れた。

しかしながら、既に彼女のものと思われる遺骨が現場から発見されたため、現在ではあまり信じられていない。

死後

まさに激動の時代で止めようがない刃に命を奪われた悲劇が彼女だが、1918年には存外ロシア正教会によって、彼女アナスタシアを含めて家族の6人が新致命者として列聖されている。

また、2009年にはロシア連邦検察庁がニコライ2世一家を含めたボリシェヴィキによる赤色テロの犠牲者52名の名誉回復を発表している。

まとめ

壮麗で、しっかり者に見える彼女だが、実はおてんばないたずらっ子だったことが分かった。幕間でもコメディ風な楽しい演出が多いが、時折どうしようもなく暗い過去、境遇の描写が挟まれる。

外見は立派でも彼女は彼女で弱いところも多いのかもしれない。きちんと気遣って聖杯を捧げましょう。

PS:̚カドアナの日常連載はよ。

出展・引用:Wikipedia アルバム画像:Amazon

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